当山は比叡山延暦寺の直末にして、松園山 寶林院 安樂寺(しょうえんざん ほうりんいん あんらくじ)と云い、今より453余年前足利義輝の時代弘治2年に大僧都良珊和尚が開かれたもので、現住職で32世にあたります。
当寺の置かれている環境は、目黒川の流れに臨み、武蔵野台地のはずれに位置し、人々の生活に欠くべかざる水に恵まれ、境内には30坪余りの自然水による池が現存し、当寺の使用する水は井戸水にて間に合い、昔は湧水を飲料水として谷山村等の近隣に引き水をしていたと云われ、それに使用された木管が堀出されたこともあります。
池畔には萩が生い茂り別名「萩の寺」とも称されていた由です。
徳川時代に於いては、勅使が江戸参向の折り、品川宿に泊られた時に、火災等非常事態が生じた際には、当寺本堂を御立退き場と定められていました。
故に本堂の造りは玉座の造りに準じた「上段の間造り」にて、門前に薙形の高札を立てていました。
又、徳川時代の中期より明治の中頃までは、今の新橋より芝大門、高輪村及び当寺近隣の村落にかけて一大念仏講を組織し、
毎年10月21日の十夜念仏は盛大を極め、門前には市が出来、近隣の善男善女が集まり、今のレクリエーションの役割をはたしていました。
住古は隣の氷川神社をはじめ、八幡社、稲盛社の別当として支配していましたが、明治初年の神仏分離によって、各々独立しました。
従前の本堂庫裏は250余年前の建立なりしも、昭和20年5月、戦災により、本尊仏及び過去帳を除きことごとく焼失しましたが、壇信徒一致の協力により昭和30年復興がなり、今日の景観を見るに至りました。